新井満(あらいまん)

「千の風になって」は、とても心に響く詩ですね。
「私のお墓の前で泣かないで下さい/そこに私はいません、眠ってなんかいません/千の風に、千の風になって/あの大きな空を、吹きわたっています」
この「千の風になって」は、もともとはアメリカの「A Thousand Winds」という作者不詳の詩がもとになっています。それに作家の新井満さんが詩(和訳)・曲をつけたのがはじまりです。
実は、この日本語詩ですが、一種の超訳がなされており、原詩の内容を変えているところもあるそうです。
たった日本語訳で15行の詩ですが、愛する人を亡くした人にとってこの短い詩は、もう会うことができない愛する人からの心打つメッセージです。
ちなみに、新井満(あらいまん)さんの本名は、新井満(あらいみつる)さんで、1988年には、「尋ね人の時間」で第99回芥川賞を受賞されています。作家になる前はシンガーソングライターで化粧品のCMソングを歌っていたこともあります。
どうりで、「千の風になって」のような素敵な詩・曲を作ることができるわけです。
秋川雅史(あきかわ まさふみ)
「千の風になって」を歌う秋川雅史(あきかわ まさふみ・1967年10月11日・血液型A型)さんは日本の声楽家(テノール歌手)です。愛媛県の西条市出身の方です。
4歳よりヴァイオリン、ピアノを始めますが、西条南中学校3年生の時に声楽家である父の指導のもと声楽家へ転向されました。
その後、愛媛県立小松高等学校を経て国立音楽大学、国立音楽大学院を修了されます。
この後4年間、イタリアのパルマで修行されています。
帰国後、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番(合唱付き)のソロなど、数々のコンサートに出演されます。
その活躍が認められ、1998年にカンツォーネコンクール第1位、日本クラッシック音楽コンクール声楽部門最高位をそれぞれ受賞されました。
2001年に、日本コロムビアより最年少テノール歌手としてCDデビューします。
2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦に「千の風になって」で出場で多くの国民の支持を得ました。
この紅白歌合戦がきっかけで、オリコンチャートで、テノール歌手としては初めて秋川雅史の「千の風になって」が1位になったのです。
輝かしい略歴の方ですが、千の風になってが大ヒットするまで、順調ばかりではなかったようです。
イタリア留学中に病気で声に雑音が入るようになってしまい、絶望の時期を経験されたこともあるそうです。
しかし手術で、従来の声を取り戻すことができました。また、毎日フィジカルトレーニングを行ったりと大層努力をなさっておられます。
千の風になっての原作者
「千の風になって」は、近親者の死、追悼、喪の機会に読み継がれて来た有名な詩ですが、実は原題はありません。
そこで、便宜上最初の行を借りて「千の風になって」として知られています。
この千の風になっての原詩の起源に関してはいくつかの説があります。
もっとも有力なのが、1932年、メアリー・フライ(Mary Elizabeth Frye 1905 - 2004年、アメリカ合衆国 メリーランド州 ボルティモアの主婦)が書いた始めての詩であるとする説が有力です。
メアリー・フライと 同居していた友人であるマーガレット・シュファルツコフ(Margaret Schwarzkopf、ドイツ系ユダヤ人少女)の母(ドイツ在住)が亡くなりました。
しかし当時のドイツの反ユダヤ的な風潮の為に帰国出来なかったことが原因で落ち込んだ彼女のために茶色の紙袋にこの作品(千の風になって)を書きました。
マーガレットは「千の風になって」の詩を一読し、メアリーを抱きしめてこう言ったそうです。「私この詩を一生大切にするわ。」そして、もう泣く事は無かったそうです。
マーガレットの職場の同僚の友人(連邦政府印刷所勤務)が、千の風になっての詩をはがきに印刷して、人々に送ったことが、人々に広まった最初の原因だと思われます。
また、メアリー・フライは友や人々の癒し・追悼の為にこの千の風になっての詩を書き、著作権にこだわることのなかったこともあり、広く知れ渡ることになった原因の1つと思われます。
千の風になっては、あまりに有名な詩にもかかわらず、原作者については、つい最近まで知られることがなかたのは、メアリー・フライが市井の人を貫いたため、資料が少なかったのがその理由だと思われます。
新井満さんが原詩に出会った理由
千の風になっての和訳された新井満さんは新潟市の出身で、弁護士になった幼なじみがおられます。その幼なじみの彼には奥さんと3人の子供がいましたが、奥さんががんになり、亡くなられたそうです。
残された幼なじみと子供たちの悲しみは大きく、新井さんは励ますことぐらいしかできず、悔しい思いをしたそうです。
亡くなった友人の奥さんは地域のために様々な社会貢献活動をしており、その仲間たち が協力して追悼文集を作成しました。その文集には「千の風になって」の翻訳詩をのせている方がいて、新井さんはその詩に感動したそうです。
新井さんは、千の風になっての詩を歌にすれば幼馴染の家族達は少しは癒されないだろうかと思い、歌にしようと決意したそうです。新井さんはこの「千の風になって」の英字詩を何ヶ月も探して、そして新井さん風に和訳し、今の「千の風になって」が生まれたました。これに曲をつけ、CDにしたのです。
千の風になっての日本詩ができるまでも、このような感動的な話があったのですね。
千の風になっては、多くの人々の心へ
千の風になっての詩では、新井満さんの訳本は2003年に初版が出ていますが、実は、1995年に三五館という出版社から南風椎(はえ しい)さんという方の訳で「1000の風 あとに残された人へ」という訳本が出ています。
厳選された美しい写真とやさしい詩で心があたたかくなります。大切な人と死別した時、これほど支えになってくれる本は、他に知らないといえるほど素晴らしいものです。
南風椎さんの、他の作品である「グリーン」「ピンク」等の[ザ・ブック・オブ・カラーズ] シリーズも素敵な作品です。
さて、千の風になってに関する新井さんの書籍ですが、書店さん泣かせのようです。お客さんが「千の風になって」をくださいと注文されたときに、どの「千の風になって」ででしょうか?とお伺いするのが大変なようです。
新井さんの千の風になってを訳したものは、講談社から単行本が出ていますが、他に、同じ講談社からいわさきちひろの絵がついた千の風になってや新井満さんの歌唱・朗読が入ったCD付きの千の風になってがあるのです。
また、理論社から絵本の千の風になってなどがでているのです。ヤマハミュージックメディアからは、楽譜なども出されています。他にもたくさんの書籍やCDが出されています。新垣勉さんや加藤登紀子さん、塩谷靖子さんのCDも出されています。
新井満さんの千の風になっての本の中に、次のようなエピソードが紹介されていました。
ある若いイギリス軍兵士がテロの犠牲になり亡くなりました。
彼は生前「もし僕が死んだら開封してください」と両親に手渡していた封筒を開けるとこの詩(千の風になって)が出てきたそうです。
また、9.11米国、同時多発テロで、父親を亡くした11歳の少女が、一周忌に朗読されたり、女優マリリン・モンローの二十五回忌に朗読された“死と再生の詩”作者不明の英語詩が「千の風になって」です。
お墓・霊園の前に立つと千の風になっての歌詞が心に響いてきますね。